宇佐神宮(大分県宇佐市)

宇佐神宮(うさじんぐう)DATA

【御祭神】第一之殿:八幡大神(はちまんおおかみ:応神天皇)・第二之殿:比売大神(ひめのおおかみ:宗像三女神)・第三之殿:神功皇后(じんぐうこうごう)

【別称】宇佐八幡・宇佐八幡宮弥勒寺・八幡宇佐宮・八幡大菩薩宇佐宮

【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治四年)・勅祭社・別表神社・豊前国一宮

【創建】神亀2年(725年)

【主な祭典】例祭(3月18日)・臨時奉幣祭(10年に一度の勅使祭)・仲秋祭(10月の第2月曜日を含む土日月:放生会)

【摂末社】大尾神社(八幡大神)・大元神社(比売大神)・宇佐祖神社(菟沙津彦・菟沙津姫)・住吉神社(住吉三神)・黒男神社(武内宿禰)・春宮神社(菟道稚郎子命)・若宮神社(若宮五神)他

【見どころ】本殿(1860年前後建造の八幡造:国宝)・呉橋(鎌倉時代以前の建造?日本百名橋)・宇佐神宮社叢(国指定天然記念物)・宝物館(国宝孔雀文磬や重要文化財の朝鮮銅鐘ほか)

【場所】大分県宇佐市南宇佐

全国に44000社ある八幡宮の総本社

本殿は向かって左から、八幡大神を祀る第一之殿、比売大神を祀る第二之殿、神功皇后を祀る第三之殿。石清水八幡宮や鶴岡八幡宮など、全国には44000社ともいわれる八幡神社があるが、その大元となる神社である。
参拝方法は一般的な神社と異なっており、出雲大社と同じく二拝四拍手一拝を作法としている。

創建に関しては諸説あるが、社伝によると、欽明天皇32年(571年)に八幡大神が菱形池に降臨し、「われは誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と告げられた。そこより数度の遷座を経て、神亀2年(725年)に現在地に鎮座。天平元年(729年)には第二之殿、弘仁14年(824年)には第三之殿が造立された。
日本書紀には、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたとある。筥崎宮の神託に、大分八幡宮が宇佐神宮の本宮であるとの記述もある。

天平15年(743年)の東大寺造営の際の託宣で中央との結びつきを強め、神護景雲3年(769年)には道鏡事件とも呼ばれる「宇佐八幡宮神託事件」が起こるほど、皇室の宗廟としての地位を確立した。その影響力の強さから、貞観元年(859年)には、中央に近い男山に、宇佐神宮を勧請して石清水八幡宮を設け、伊勢神宮と並び立つ二所宗廟としている。
八幡宇佐宮御託宣集には、8世紀に起きた隼人の反乱を制圧するため、八幡神を神輿に担いだ事績が記されている。この時、殺生の罪を悔いた八幡神が仏教に救いを求めたとされ、神仏習合のはじめとなったと言われている。神亀2年(725年)に弥勒禅院が建立されている。

⇒ 宇佐神宮ホームページ
言霊の杜