大山祇神社 平成24年9月18日

国宝の島 大山祇神社

三島神社の総本社・大山祇神社は、瀬戸内海上に浮かぶ大三島にある。越智氏と、越智氏から分かれた河野氏の氏神で、古代から海上交通の要に位置することもあり、多くの宝物が奉納されてきた。特に武具は夥しい数を収蔵しており、国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がここにある(かつては8割とも言われた)。

大山祇神社 一の鳥居

大山祇神社大山祇神社の一の鳥居は、宮浦港近く。海に向かって建つこの鳥居は、昭和8年に建てられた。かつて大山祇神社は、反対側の上浦町瀬戸にあり、大宝元年(701年)に現在地に移ったという。橋がつながるまでは、宮浦港につくフェリーが大活躍していた。

大山祇神社 二の鳥居

大山祇神社「しまなみ海道」として本州・四国と橋でつながり、参拝しやすくなった。尾道と今治を結ぶしまなみ海道は、年々観光客が増えているが、四国地方最高のパワースポットとも言われる大山祇神社は、中心的な観光地になっている。

総門

大山祇神社平成22年、688年ぶりにに再建された大山祇神社の総門。随身像は、香川大名誉教授・池川敏幸氏と鹿児島大教育学部教授・池川直氏親子が、境内の檜を用いて制作。

御神木

大山祇神社大山祇神社の楠群は、日本最古の原始林社叢の楠群として国の天然記念物に指定。中でも威容を誇るのは、樹齢2600年と言われる、境内中央の御神木。大山積大神の子孫・小千命お手植と伝わる。

能因法師 雨乞の楠

大山祇神社長久2年(1041年)、能因が「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と幣帛を掛けて祈請を行い雨を呼んだ樟。樹齢3000年と言われる日本最古の楠木。

河野通有兜掛の楠

大山祇神社天智天皇の祭政分離策により越智氏より分かれた河野氏は、大山祇神社を崇めた。弘安4年の蒙古襲来においては、三島水軍を率いる河野通有が当社に参籠祈願し、白鷺の導きにより勝利したと伝わる。参籠した際に兜を掛けた楠が、神門前に残っている。

大山祇神社御神門

大山祇神社写真は、寛文元年(1661年)に松山藩主・松平定長が寄進した御神門。平成28年12月、造替工事が完了し、素木造・切妻造檜皮葺の真新しい御神門となっている。

大山祇神社拝殿

大山祇神社元亨2年(1322年)兵火で焼失後、応永34年(1427年)再建。素木造・切妻造檜皮葺。国の重要文化財。

隼人の舞

大山祇神社瑞垣内に「隼人の舞」のブロンズ像がある。平成22年11月3日に今治造船が奉納したもので、鹿児島神宮に伝承されている舞姿をモチーフにして中村晋也氏が製作した。「隼人の舞」は、山幸に負けた海幸が、俳優(わざおぎ)として仕え舞ったもの。海幸・山幸の母は、大山祇神社の御祭神の子木花咲耶姫

大山祇神社御本殿

大山祇神社元亨2年(1322年)の兵火で焼失し、応永34年(1427年)に再建。三間社流造、檜皮葺。国の重要文化財。

宝篋印塔

大山祇神社御神門前を右側に向かうと宝篋印塔(国の重要文化財)がある。中央は、一遍上人参拝の折に奉納されたと伝わるが、文保2年(1318年)12月9日、一遍上人の30回忌に建てられたとも言われる。一遍は、河野一族であり、その氏神である大山祇神社へは、少なくとも2回参拝している。

生樹の御門

大山祇神社大山祇神社の後方、奥の院にある生樹の御門(いききのごもん)。樹齢3000年と言われる楠の中央に巨大な空洞がある。国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」から少し外れたところにあるため、愛媛県の天然記念物になっている。御門の空洞をくぐると、不老長寿の御利益があると言われている。



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