◆ 記録の罪状
初代天皇である神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと:神武天皇)の宮城跡と言われる場所に、明治23年に創建されたのが、橿原神宮である。敗戦を経た現在では、古事記などに記された神武天皇の伝説はおとぎ話となり、天皇の存在、ひいては建国に関わる説話自体が疑われることとなってしまった。
たしかに、不思議に彩られた物語は、現代社会を生きる者の感覚を狂わせてしまうものではある。けれども、橿原遺跡における発掘物や、東征神話に出てくる西日本各地の遺物を考えると、あながち全否定できるものでもないだろう。
学者ぶってそんな話をすると彼女は、
「記録が生み出した弊害ね」
と、クスリと笑う。
古事記は、天武天皇の以下の言を、その成立の根拠とする。
諸家の賷たる帝紀と本辞と既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふといへり。今の時に当りてその失を改めずは、いまだ幾年を経ずして、その旨滅びなむとす。
つまり、各地の豪族などに贈られた歴史書が、改ざんにより元の姿をとどめなくなってしまっているので、今のうちに改めなければならないと。
かつて歴史は、口誦で伝承されるものであった。「ところが…」と、彼女は言う。
「それが書物として記録されることにより、過去との分断が生まれたの。」
現代人は、文書に真実が表れるものと考えているが、現実には、それに関わった者の視点しか映しはしない。そのために、焚書などということも頻繁に行われ、いたる所に断絶の影を生み出した。記録書とは詰まるところ、人々の対立の種でこそあり、ものの一面しか言い表さない不確実なものなのである。
彼女は言う。
「歴史を記すという行為は、不都合な過去を葬り去るためのもの。」
そして文書化の刹那、「言霊」は居場所を失い、言葉の劣化が始まるのである。「古事記」は、和風に改良された漢字を用いて、音と意の両面から「和の心」を後世に残そうとしたものではある。けれども、現代に至って考察するに、その試みが成功したとは断言できない。
「記録は、人々を愚かにしたわ。そこに現代人が感じ取るものは、先史の歪みばかり。口承を経ない記録は、過去の概念との間に距離を生み、先人との心の繋がりを保てない。『歴史』が描くものは分断であって、決して進歩などとは呼べないの。」
今、この歴史の変革期、書物に代わる新たな記録媒体が続々と登場している。
「でもね、主体と目的とを明確にしなければ、本質は継承されず、禍根を残すだけのものとなってしまう…」