出雲国一宮 熊野大社(旧国幣大社)

◆ 終わりと始まりの交差点

 神無月の出雲に取材に連れ立った時、誰もが訪れる出雲大社に、まっすぐに向かうものだと思い込んでいた。けれども彼女は、
「そこには、出雲大社の上に立つ神社があるから」
熊野大社八雲橋と言って、松江駅前で八雲行のバスを探した。そのバスは、ゆっくりと山の中へと走り出し、約30分で終点に到着。さらに、そこで小さなバスに乗り換えて、また30分揺られることに。彼女は、「熊野大社」というアナウンスにボタンを押す。
 馴染みの熊野大社は南海の古道に鎮座するが、関係を問うと、
「今はまだ語る時ではないわ」
と不思議な笑みを浮かべて、よく揺れたバスを降りた。

 目の前には、赤い欄干を持つ八雲橋が架かっていた。その向こうには立派な鳥居が聳え立ち、間から大社造の社が見える。彼女はそちらに歩を進め、鑽火祭の話をしてくれた。
 その祭事は、10月15日に執り行われる。出雲大社で用いられる鑽火のための神器を貸し出すためのもので、「ひつぎ」とも呼ばれる重要な神事。全国の神々が集結する出雲大社での新嘗祭も、これがなければ始まらない。

 さて、熊野大社には、三貴神の一柱・スサノオが祀られている。ここでの御祭神名は、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)。出雲と言えばオオクニヌシのイメージがあるが、スサノオこそが出雲の祖神であり、出雲で広く信仰されている神でもある。今でこそ出雲大社の御祭神はオオクニヌシであるが、かつてはスサノオだったこともあったのだとか。
 そのスサノオの本拠地がこの熊野の地であり、ここに発する意宇川に沿って、活躍のあとともいえる古代遺跡が林立している。そこを彼女は、「終わりと始まりの交差点」と呼び、僕を誘ったのである。

 「熊野」とは、魂が帰り着く場所のことで、「熊」は「隈」に通じ、隠れる意を含む。スサノオは、熊野大社の元宮である熊成峯(天狗山)から根の国に入ったと日本書紀に記されている。伝承では、そこから柏葉に導かれて日御碕の隠ケ丘に籠られたという。
 ちなみに、熊成峯を水源とする意宇川の下流には、黄泉との境である「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」がある。つまり熊野とは、スサノオが、母であるイザナミを求めて行きついた「黄泉の国」である。

 その黄泉の国でのスサノオの事績が、出雲国風土記では八束水臣津野(やつかみづおみつの)の物語として記されている。その中の有名な国引き神話を取り上げた彼女は、国引きにより国を拡げた八束水臣津野が、最後に「おゑ」と声を張り上げたことを教えてくれた。
「なるほど、『終え』の語源ですね」
と納得すると彼女は、少し不満な色を瞳に宿し、
「タスクは終了してもそれが始まり」
と真面目な顔をして、面白いことをぽつりと言った。この「おゑ」は、「アーメン」や「オーム」につながる聖音なのだと。その効果を問えば彼女は、
「境でしか発してはならない発動の響き」
と答えて笑うのみ。それ以上のことは聞き出せない…

⇒ 出雲国一宮 熊野大社(旧国幣大社)



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