伊予国一宮 大山祇神社(旧国幣大社)

◆ 偶然と奇跡の本質

 しまなみ海道の中心に位置する大三島に、大山祇神社がある。越智氏・河野氏の氏神であり、大山祇神社拝殿全国に一万社あまりあるオオヤマヅミを祀る神社の総本社でもある。特に武人の信奉あつく、国宝館には、見応えのある数多くの宝物が展示されている。
 けれども、その神宝に劣らず凄いのが、この神社の境内。千年を超える楠の大木が立ち並んでいるのだ。その中には、「能因法師雨乞いの楠」と呼ばれる天然記念物も。枯死しかけてはいるが、樹齢三千年と言われる楠の大木で、その名の通り、干ばつに霊験を示した神木である。

 それは、能因法師集の和歌の詞書に、長久二年(1041年)と記される物語である。その説話が、「金葉和歌集」や「古今著聞集」に見える。

範國朝臣にぐして伊豫國にまかりたりけるに、正月より三四月まで、いかにも雨のふらざりければ、苗代もせでよろづに祈りさわぎけれどかなわざりければ、守能因歌よみて一宮にまゐらせて、雨いのれと申ければ、まゐりていのり申ける歌 能因法師

 あまの河なはしろみづにせきくだせ あまくだりますかみならば神

神感ありて大雨ふりて三日三夜やまずと家集にみえたり。
(金葉和歌集 巻第十)

能因入道、伊豫守実綱に伴ひて、彼国に下りたりけるに、夏の始め日久しく照りて、民のなげき浅からざるに、神は和歌にめでさせ給ふものなり、試みによみて、三嶋にたてまつるべきよしを、国司しきりにすすめければ、

 あまの川苗代水にせきくだせ あまくだりますかみならば神

とよめるを、御幣に書きて、神官して申あげたりければ、炎旱の天、俄にくもりわたりて、大なる雨ふりて、かれたる稲葉、おしなべて緑にかへりにけり。
(古今著聞集 巻第五)

 つまり、夏の初めに干ばつで困っていたところ、そこにやってきた能因法師が「あまの川苗代水にせきくだせ あまくだりますかみならば神」と歌うと、たちまち雨が降ったというものである。能因法師雨乞いの楠

「単なる偶然でしょう」
と僕が言うと、
「そうかしら?」
と、彼女が睨む。そして、「神が名を変えた時代の弊害ね」とポツリと言った。

 彼女によると、現在でも同じようなことが行われているという。つまり、「科学」を突き詰めようとする行為。そこにあるのは、宇宙の恩恵に預かりたいという気持ちと、自らの存在理由を知りたいという気持ちであり、信仰に隣り合った太古から、そのベクトルを一にする。ただ、それを神のものと知らずして、凡人は、人知を超えたものを「偶然」で片付けてしまう。
 また逆に、「哲学」が生み出した神に依存する者は、それを「奇跡」と呼んだりもする。

「でもね…」
と、彼女は言う。
「神の中には、偶然も奇跡もないの。それを知るひとの祈りは、ひとえに気持ちを強くする。神の御心に従うためにね。」
 そして能因は、恒常の世界に遊び、神の命で歴史を刻んだのである。つまり祈りとは、自我を離れる行為であると。

【追記】元禄六年(1693年)6月28日、三囲神社(東京都墨田区)において、雨乞いが行われていた。そこに現れた宝井其角は、能因法師の故事をもとにして「夕立や田を見めぐりの神ならば」と詠んで神前に捧げた。すると雨が降り出したことが、「五元集」などに記されている。

⇒ 伊予国一宮 大山祇神社(旧国幣大社)



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