◆ 秘められた言葉
「言葉を失った」
と言って、しばらく元気がなかった彼女。その彼女を見舞いに行った日、「車を出してほしいの」と頼まれ、高速道路を走った。目的地は、白山比咩神社。霊峰白山を御神体として、石川県白山市に鎮座する加賀国一宮である。「何故?」と問うと、彼女は、日本書紀の神代の異伝を口遊み始めた。
其の妹と泉平坂(よもつひらさか)に相闘ふに及りて、伊弉諾尊(いざなきのみこと)の曰はく、「始め族の為に悲び、思哀びけることは、是吾が怯きねりけり」とのたまふ。時に泉守道者(よもつちもりびと)白して云さく「言有り。曰はく、『吾、汝と已に国を生みてき。奈何ぞ更に生かむことを求めむ。吾は此の国に留りて、共に去ぬべからず』とのたまふ」とまうす。是の時に、菊理媛神(くくりひめのかみ)、亦白す事有り。伊弉諾尊聞しめして善めたまふ。及ち散去けぬ。
つまり、黄泉の国(妻が住む死者の国)で妻であるイザナミと争い、逃げてたどり着いた泉平坂でのこと。イザナキは、「悲しんだことは自分の弱さのためだった」と後悔するに至り、
「あなたとともに国を生み終えたというのに、なぜ更に生きていく必要があるのでしょうか。私は黄泉の国に留まりますので、あなたとともに帰ることはできません」
という妻からの伝言を、泉守道者から聞いた。その時にククリヒメが現れて、傷心のイザナキを慰める「何か」を告げたのだ。
神話の世界に生きる者の間では、その「何か」が、しばしば話題にのぼる。
そもそも、ククリヒメ自体が不思議な神である。現在では、白山比咩神社を総本社とする白山神社を中心に、全国2000社余りの神社に祀られる馴染み深い神であるにも関わらず、日本古代の正史である日本書紀での登場場面は、このひとところにしかない。もうひとつの歴史書とでもいうべき古事記には、登場すらしない神なのである。
さらに、登場する神のほとんどはその出自が記されているというのに、ククリヒメには記載がない。イザナキの配下なのか、黄泉の国に属するのかさえも分からない不思議の神が、この国をつくり上げた至上の神イザナキに、「何か」を進言したのである。
白山を水源とする手取川に面すると、白山菊酒で有名な酒造「菊姫」が見えてきた。白山比咩神社も近い。途中、思いつめたように黙り込んでしまった彼女は、ようやく僕に語り掛けてくれた。
ククリヒメは、「括り」に掛けて、調停の神と考えるのが一般的である。そして人々は、人間的な視点から、和解を導く現実的な言葉を発したとあれこれと思いを巡らせる。
けれども彼女は言う。「ククリ」は「ココロ」であると。古い発音に対応させるように、「菊理」を「ククリ」と読ませてはいるが、さらに古くは、「菊理」を「ココロ」と発音した時代があったのだと。
だから、
「菊理姫はココロヒメ」
と、彼女はつぶやく。
本来ならば、泉守道者のあとに言葉を発するべきはイザナキである。泉守道者に妻への伝言を託けることで、和解の手順を踏むべきなのである。けれども、イザナキはそれをしなかった。かわりに現れたのが「ココロヒメ」。
つまり菊理姫とは、イザナキの心裏に住まう者で、その者が現れることでイザナキは、「心に秘める」ことを選んだのである。だから、そこに「言葉」は存在しない…
すがすがしい風が吹き抜ける参道を曲がると、立派な社殿が目に入る。左手に昭和天皇御手植えの御神木「三本杉」が、40年ちかくの時を経て、しっかりと境内に根をおろしている。その土を踏みしめながら、彼女は歩を進めて一呼吸。そして、「それは前進を期することなのね」とつぶやき手を合わせ、
「こころひめおくつきのかげ」
と頭を下げた。
「やっと区切りがついたわ」と見上げる空は、菊の香たちこめ、どこまでもどこまでも高く深く広がっている。彼女の顔に、明るい色が舞い戻っていた。
⇒ 加賀国一宮 白山比咩神社(旧国幣中社)