◆ 神社の存在意義
神社を巡る度に抱く疑問を、彼女にぶつけたことがある。同じ神を祀り、互いに本宮を標榜するような社もあるが、そこに本当に神は存在するのだろうかと。
すると笑いながら、
「イデアって知ってる?」
と、彼女は僕の瞳をのぞきこんだ。突然問い返されて、「世界を投影する天国のことですか?」と、哲学の講義で眠りながら確立した記憶を、あたふたしながら手探りした僕である…
そもそも神話は、過去に存在するものではなく、時空を超えて遍在するものなのである。そして日本における神は、イデアともいえる「高天原」から「依り代」に舞い降りると言われており、その場所を「神籬(ヒモロギ)」と言った。よって、特定の神社を、唯一不動の神の在所と考えることには無理があるのだ。神社も、天上を物語る「神籬」のひとつなのである。
「それならば、わざわざ神社に参らずとも、好きな神を目の前に降臨させることもできるのですか?」
彼女は「そうね」と言いながら、「しかし…」と、三種の神器について語り始めた。
三種の神器とは、天皇が即位とともに継承する「八咫鏡(ヤタノカガミ)」「草薙剣(クサナギノツルギ)」「八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)」の総称である。太古より継承されてきたものではあるが、現在存在するものが当初からのものかといったことが、様々なところで議論されている。一部には、皇統の正当性に関わる重要問題であるとの認識もあるが、それは日本の祭祀形態を理解していない者の言。
特に草薙剣は、様々な試練にさらされてきた。古事記によれば、須佐男(スサノオ)が八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した折に大蛇の尾の中から顕れた「都牟羽大刀(ツムハノタチ)」がこの宝剣であるといい、天照大御神(アマテラスオオミカミ)に捧げられたという。その後、天孫降臨とともに葦原中国(アシハラノナカツクニ)へと降臨し、東征の折に倭比売(ヤマトヒメ)から倭建(ヤマトタケル)へと授けられたこの剣は、火攻の際に草を刈るために用いられて功あり、「草薙大刀(くさなぎのたち)」と呼ばれたと。
のちに倭建は、草薙剣を置いて出向いた伊服岐山で亡くなった。ゆえに現在では、倭建の最後の拠点近くに造営された熱田神宮に奉祭されている。
日本書紀には「天叢雲(アメノムラクモ)」の別名もあり、人代に至っては盗難があったことも記されている。さらには、高天原に奉られていたものをヤマタノオロチが飲み込み、それをスサノオが奪い返したものであるとの神代の説もあり、数奇な運命に彩られる宝剣である。その最たるものは、壇ノ浦の戦いにおけるものだろう。
源平合戦も末期に至り、安徳天皇を擁して壇ノ浦まで逃れた平氏。最後を悟り入水した安徳天皇とともに、三種の神器も海を漂った。そして、八咫鏡と八坂瓊曲玉は救い出されたが、草薙剣は天皇とともに海底に沈んでしまったという。
これにより、草薙剣は失われたかといえば、そうではない。現在も、天皇の即位に際して継承され、熱田神宮に安置されている。そこには、御霊が形代に依り憑くという、古代からの伝統が根付いているのだ。失われた宝剣は、伊勢神宮の剣を遷すことで蘇ったのである。
しかし、以降は武人の時代となる。草薙剣が象徴する武力は、皇家と距離を置くこととなった…
人は、常に神とつながることができる。けれども、そのための「依り代」を設けなければ、神意を酌むことはできない。ただし、その「依り代」は、その神にふさわしいものである必要がある。例えば、鏡に草薙剣の御霊が依り憑くこともできるであろうが、そうなれば、草薙剣の神威は十分に行きわたらない。そして、皇統を語るならば、その時空において最適の、草薙剣としての「場」が与えられなければならないのである。
神社にも、それと同様のことが言える。古来、それぞれの神にふさわしい場に神社が設けられてはいるが、場によっては強弱の差がある。霊験あらたかな神社というのは、その神威が自然に高まる「場」に存在するもの。
彼女は言った。
「神は遍在している。」
今、この時代、この場所にも、神の御霊は物語を紡ぎ続けている。それを語り出すところが「依り代」であり、それは神性を秘めて、人々の目に人型の物語を移植している。
神話は、太古の物語ではない。それは、いまもいたる所に顕れるものなのである。けれども、その迸りを最大限に浴びようものなら、相応の神社に参拝に向かうべきなのだ。