石清水八幡宮(京都府八幡市)

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)DATA

石清水八幡宮【御祭神】八幡大神(誉田別命・比咩大神・息長帯姫命の総称)

【別称】男山八幡宮・やわたのはちまんさん

【社格等】官幣大社(明治四年)・二十二社(上七社)・勅祭社・別表神社・国史見在社

【創建】貞観2年(860年)

【主な祭典】石清水祭(9月15日:日本三大勅祭)

【摂末社】石清水社(天御中主神)・高良神社(八幡地区の氏神)他

【見どころ】石清水八幡宮本社10棟(1634年造修の八幡造:国宝)・石清水井(社名の由来ともなった霊泉)

【場所】京都府八幡市八幡高坊

伊勢神宮と並び立つ二所宗廟のひとつ

宮中の四方拝で遥拝され、日本三大八幡宮のひとつでもある石清水八幡宮は、貞観元年(859年)に、南都大安寺の行教が、宇佐神宮(大分県宇佐市)で「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受けて、翌年に、宇佐神宮に祀られる寺の鎮守神である八幡神を勧請したもの。
平安時代には「石清水八幡宮護国寺」と呼ばれ、山麓から山上まで多くの堂宇が立ち並び、壮観だったという。その有様は「徒然草」にも描かれ、山麓の高良神社を本殿と間違えて帰ってしまった法師の話が載る。
男山山上に鎮座するために男山八幡宮とも呼ばれ、京都の裏鬼門を護る。八幡太郎とも呼ばれた源義家は、石清水八幡宮で元服。清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬され、源氏の広がりとともに、鶴岡八幡宮など多くの八幡宮が石清水八幡宮から勧請されて建てられることとなった。

⇒ 石清水八幡宮ホームページ
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