大室山浅間神社(磐長姫を祀る神社)

◆ 現代によみがえった女神

 伊豆シャボテン動物公園の背後に、美しい山がある。まさにお椀を伏せた形。2月には山焼きが行われるため、夏場には一面の草の原である。大室山浅間神社パンフレット
 この大室山は、標高五百八十メートル。登山リフトがついており、誰でも手軽に楽しめる山ではある。けれども、頂上は特別な空気に覆われており、火山としての凄みを感じることになる。噴火したのは四千年前だとか。
 その火口の中ほどに、大室山浅間神社がある。「浅間神社」といえば、富士山の女神であるコノハナサクヤビメが祀られるのが普通である。しかしここには、コノハナサクヤビメの姉である磐長姫(イワナガヒメ)が鎮座。大室山浅間神社は、磐長姫のみを祭神とする、大変に珍しい神社として知られている。

 さて、磐長姫。この神は、古事記において「石長比売」として顕れる女神である。妹である木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)が、天孫に見初められて輿入れする際、父である大山津見によって一緒に奉られた。けれども、容姿が醜かったために送り返されるという不名誉に。そのことに胸を痛めた大山津見は、木花之佐久夜毘売には繁栄を、石長比売には常磐の意味を込めて二人を奉ったことを明かし、
「石長比売を返して木花之佐久夜毘売のみを受け入れたことで、天孫の命は花のように儚いものとなりましょう」
と述べたという。
 これは、現代ではバナナ型神話に分類され、死の起源神話として世界的にも知られたものである。ここに、神と目される天皇にも寿命があることが説明されるのである。

「でもね…」
と、彼女が口を開く。
「今では磐長姫も復権を果たされているわ。」
 意味が分からない僕は、何らかの宮中行事が追加されたのだろうと思い、「そうなんですか」と生返事。すると呆れ顔をつくって、
「女性には真っすぐに向き合わなければ、痛い目に遭うわよ」
と、悪戯っぽく笑う美しいひと。

 平成11年に国旗国歌法が制定され、正式に国歌であると認められた「君が代」。これこそが「磐長姫の御霊」に通じるものであると、彼女は言う。

 その元歌は、「古今和歌集」にある詠み人知らずの和歌「我君は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」で、古くから賀歌として歌われてきたものである。様々な場で用いられる中で、詞にも変化があったようで、鎌倉時代までには、今のような詞も現れた。そして近代に至り、諸外国と対等に向き合うために、薩摩琵琶の「蓬莱山」に組み込まれていたものを切り出して、礼式曲として整えていったという。
 大意は言わずもがな。この世の永続性を願い言祝ぐもので、その象徴として「石」が顕れる。かつて退けて砕け散ったものが、長い月日をかけて「イワ」としてよみがえったのだ。そしてこの時、悠久の歴史を持つ神秘の国家が、世界に存在場所を得たのである。

 ここに戻ってきた磐長姫は、常磐を司る女神である。求めるものは、解しがたいものにも注がれる斎(いわい)。決して邪視を交えてはならない。そこに清き言葉が捧げられる時、永遠のビジョンが映し出される---
 だから「君が代」は、論争に用いてはならない。恒常を厭わず、思い遣りの心を保ちつつ口遊むもの。

大室山浅間神社タマゴケ 山を下りてから、彼女は「富士山がきれいに見えたわね」と言った。山頂では、決して富士(不死?)を語ってはならないという。磐長姫が嫉妬するからだと言うが、今や磐長姫の御霊も、富士山と並ぶ日本の象徴となった。
 ちなみに磐長姫には、かわいい愛称がある。「苔牟須売(コケムスメ)」という。

⇒ 大室山浅間神社



言霊の杜