賀茂別雷神社(京都府京都市北区)

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)DATA

【御祭神】賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)

【別称】上賀茂神社・上社

【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治四年)・別表神社・山城国一宮・二十二社(上七社)・勅祭社

【創建】天武天皇7年(678年)

【主な祭典】葵祭 (5月15日:賀茂祭)

【摂末社】片山御子神社(玉依比売命)・大田神社(天鈿女命)・賀茂山口神社(御歳神)・新宮神社(高龗神)・久我神社(賀茂建角身命)・須波神社(阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神)ほか

【見どころ】本殿(1863年建造の三間社流造:国宝)・賀茂別雷神社境内(国指定史跡)

【場所】京都府京都市北区上賀茂本山

上賀茂神社と呼ばれ京都の世界遺産の一角を占める歴史的名社

創建については諸説あるが、社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼(みあれ)所に賀茂別雷命が降臨したと伝わる。白鳳六年(678年)に加茂神宮が造営された。
「山城国風土記」逸文には、玉依日売が、加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、賀茂別雷命が生まれたとある。その賀茂別雷命の父は、乙訓の郡の社(乙訓神社)の火雷命だという。玉依日売の兄である玉依日古の子孫の、賀茂県主の一族がこれを奉斎した。
平安遷都後は王城鎮護の社とされ、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭となった。近代においても、官幣大社の筆頭として、伊勢神宮に次ぐ重要な社であった。
葵の御神紋が有名であるが、これは、御祭神降臨の折に、「葵をもって祀れ」との御神託があったためである。

⇒ 賀茂別雷神社ホームページ
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