鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

鹿島神宮(かしまじんぐう)DATA

鹿島神宮【御祭神】武甕槌大神(たけみかづちのかみ)

【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治四年)・別表神社・常陸国一宮・勅祭社

【創建】神武天皇元年

【主な祭典】御船祭(午年の9月1日~9月3日)・白馬祭(1月7日)・祭頭祭(3月9日)

【摂末社】奥宮(武甕槌大神荒魂)・高房神社(建葉槌神)・三笠神社(三笠神)・坂戸神社(天児屋命)・沼尾神社(経津主神)ほか

【見どころ】本殿(1619年造営の三間社流造:重要文化財)・楼門(1634年造営の日本三大楼門:重要文化財)・要石(地震を起こす大鯰を押さえつける守り神)・御手洗池(神池)・宝物館

【場所】茨城県鹿嶋市宮中

全国約600社の鹿島神社の総本社

御祭神の武甕槌大神は、香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、大国主(おおくにぬし)と国譲りの交渉をした神である。さらに、神武天皇東征の時に、神剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」を下し、大和入国を守護した。
社伝によると、神武天皇即位の年に、天種子命(あめのたねこのみこと)を鹿島に遣わし、武甕槌大神を祀ったという。延喜式神名帳で、伊勢の大神宮以外に「神宮」と号するのは、香取神宮と鹿島神宮だけであった。朝廷とのつながりは深く、その遣いは「鹿島使い」と呼ばれた。

藤原鎌足は鹿島の出身で、そのため、藤原氏の氏神である奈良の春日大社には、鹿島の神が勧請されている。その春日大社の創建の前年(767年)には、白い神鹿の背に分霊を乗せ、多くの鹿を引き連れて鹿島を発ったと言われている。このように鹿島を発つことを「鹿島立」と言ったが、その多くは防人の命がけの旅を指し、現在では「旅立ち」を指す言葉として定着している。

常陸国風土記には、「高天原より降り来し大神、名を香島の天の大神といふ。天にては號を香島の宮といひ、地にては豊香島の宮(とよかしまのみや)と名づく」とある。また、「天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、合せて三處を、総べて香島の大神といふ」ともある。

⇒ 鹿島神宮ホームページ
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