気比神宮(けひじんぐう)DATA
【御祭神】主祭神:伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
配祀神:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)
【別称】笥飯宮(けひぐう)・笥飯大神宮・お気比さん
【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治二十八年)・越前国一宮・別表神社
【創建】第14代仲哀天皇8年
【主な祭典】例大祭(9月2日~9月15日:気比の長祭り)
【摂末社】角鹿神社(都怒我阿羅斯等命)・天利劔神社(天利劔大神)・天伊弉奈姫神社(天比女若御子大神)・天伊弉奈彦神社(天伊弉奈彦大神)ほか
【見どころ】本殿(1950年再建の流造)・大鳥居(重要文化財:1645年造営)・土公
【場所】福井県敦賀市曙町
北陸道総鎮守とされる越前国一宮
伊奢沙別命は、気比大神・御食津大神(みけつおおかみ)とも称し、上古に天筒山に顕れ、境内北東の土公に降臨された。食物を司り、海上交通や衣食住の生活全般を護り給う神として崇められてきた。
仲哀天皇は即位後すぐにこの角鹿の地を訪れ、行宮として「笥飯宮」を営んだ。神功皇后も訪れ、当時緊張関係にあった三韓について占われた。この時に勝利が予言され、三韓征伐の後に生まれた太子(応神天皇)は、武内宿禰に連れられて禊に訪れた。この時、伊奢沙別命が夢に顕れ、太子は名前を交換することになった。
当初の御祭神は伊奢沙別命だけであったが、文武天皇の大宝2年(702年)に、仲哀天皇と神功皇后が合祀されることになった。南北朝期に南朝に加担したため、一時衰退していたが、江戸時代になると領主の保護を受け、明治28年(1895年)3月26日には神宮号宣下の御沙汰により、気比神社から氣比神宮となった。
北陸道から畿内への入り口にある上、朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝に位置することから、「北陸道総鎮守」と称され、古くから重視された神社である。
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