大神神社(奈良県桜井市)

大神神社(おおみわじんじゃ)DATA

大神神社【御祭神】大物主大神 (おおものぬしのおおかみ:大己貴神の和魂)

【別称】美和乃御諸宮・大神大物主神社・三輪明神

【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治四年)・大和国一宮・二十二社(中七社)・別表神社

【創建】不詳

【主な祭典】例祭(4月9日)

【摂末社】狭井神社(大神荒魂神)・磐座神社(少彦名神)・活日神社(高橋活日命)・檜原神社(元伊勢)他

【見どころ】三輪山(三諸山)・三ツ鳥居(1883年造営:重要文化財)・拝殿(1664年造営:重要文化財)・大神神社境内(国の史跡)

【場所】奈良県桜井市三輪

三輪山を神体山とする日本最古の神社

三輪山(三諸山)を神体山とし、山中に3つの磐座がある。本殿を持たず、拝殿から三輪山を拝むようになっている。三輪山と拝殿の間には三ツ鳥居(三輪鳥居)があり、本殿の御扉の役割があるとして、神聖視されてきた。

主祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)の和魂である大物主神で、古事記や日本書紀に、疫病が流行った時に崇神天皇の夢枕に顕れ、自らを祀ることを要請した神である。
古事記で神武天皇項にさかのぼると、后の母が、丹塗矢に変身した美和の大物主神の子を産んだとある。日本書紀(崇神紀)には、倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)が大物主神の妻になったことが記されており、大物主神の御姿は小蛇(こおろち)だったとしている。雄略紀には、三諸岳の神を見たいと天皇が言ったために捕らえられた大蛇が、雷を発したとある。
創建はさらに古く、古事記の上つ巻(神代)には「御諸の山の神」として登場する。少彦名神を失って途方に暮れる大国主(大己貴神)を助けた神であり、その時の様子を、古事記では下記のように記している。

海をてらして依り来る神あり。その神の言りたまはく、「我が前をよく治めば、吾よくともどもに相作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ状はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾をば倭の青垣の東の山の上に齋きまつれ」とのりたまひき。こは御諸の山の上にます神なり。

日本書紀では、大己貴神(大国主)に対して「吾は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である」と、三諸の山の神がその正体を明かしている。これらは、出雲大社の創建神話でもある大国主の国譲りより前の話であり、日本最古の神社と言われる所以である。

日本書紀崇神天皇8年条に、「高橋邑の人活日を以て、大神の掌酒とす」との記述がある。疫病が収まって大神を祭った時に「この神酒(みき)は我が神酒ならず 倭なす大物主の醸みし神酒 幾久幾久」と歌って、神酒を天皇に捧げたとある。以来、大神神社は酒造の神としても名高く、杉玉の発祥神社ともなった。また、三輪の枕詞は味酒(うまさけ)でもある。

⇒ 大神神社ホームページ
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