志波彦神社・鹽竈神社(宮城県塩竈市)

志波彦神社・鹽竈神社(しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ)DATA

【御祭神】志波彦神社:志波彦大神(しわひこのおおかみ)
鹽竈神社:塩土老翁神(しおつちのおじのかみ:別宮主祭神)・武甕槌神(たけみかづちのかみ:左宮)・経津主神(ふつぬしのかみ:右宮)

【社格等】延喜式内社(名神大社:志波彦神社)・国幣中社(明治四年志波彦神社・明治七年鹽竈神社)・陸奥国一宮(鹽竈神社)・別表神社

【創建】不詳

【主な祭典】志波彦神社例祭(3月29日)・鹽竈神社例祭(7月10日)・塩竈みなと祭(7月第3月曜日)

【摂末社】御釜神社(鹽土老翁神)ほか

【見どころ】鹽竈神社14棟1基(重要文化財:1704年造営)・塩竈ザクラ(国の天然記念物)・鹽竈神社博物館(重要文化財の太刀来国光など)

【場所】宮城県塩竈市一森山

陸奥国一宮の鹽竈神社は全国の塩釜神社の総本社

鹽竈神社の境内に、明治7年に志波彦神社が遷座し、現在は正式名称を「志波彦神社・鹽竈神社」としている。志波彦神社は冠川河畔に降臨した志波彦神を祀る神社で、名神大社であったが、中世以降は衰退し、岩切村の牛頭天王社(八坂神社)に合祀されていた。志波彦神社の御祭神の志波彦神は、鹽竈神社の御祭神と同じ塩土老翁神であるとも言われている。
鹽竈神社は820年に編纂された「弘仁式」主税帳逸文に「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあることから、平安時代以前から鎮座していることが分かっており、式外社である。多賀城に国府が置かれると、その鬼門に位置する関係から、篤く信仰されたものと考えられている。

塩土老翁神とは、日本神話の海幸彦・山幸彦の項に顕れる神で、釣り針を失くして困っていた山幸彦を綿津見神の宮へ案内した。社伝によれば、東北地方を平定するために、武甕槌神・経津主神を道案内し、鹽土老翁神だけが塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされている。
鹽竈神社では主祭神の塩土老翁神が別宮に祀られているが、この「別宮」には、「特別」の意味がある。また、海難を背負って頂くように、海に背を向けて鎮座しているとも言われている。
かつて境外末社の御釜神社の神竈ではト占が行われ、異変が起こる時には竈の水色が変化すると言われていた。

⇒ 志波彦神社・鹽竈神社ホームページ
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