出雲大社(島根県出雲市)

出雲大社(いずもおおやしろ)DATA

出雲大社本殿【御祭神】大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)

【別称】杵築大社(きつきたいしゃ)・天日隅宮(あめのひすみのみや)・石くまの曽宮(いわくまのそのみや)

【社格等】延喜式内社(名神大社)・官幣大社(明治4年)・別表神社・出雲国一宮・勅祭社

【創建】神代

【主な祭典】5月14日(例祭)・旧暦10月11日~17日(神在祭)

【摂末社】大神大后神社(須勢理毘賣命)・伊能知比賣神社(蚶貝比賣命・蛤貝比賣命)・神魂御子神社(多紀理毘賣命)・素鵞社(須佐之男命)ほか

【見どころ】本殿 (1744年造営の大社造:国宝)・出雲大社 21棟1基(重要文化財)・神楽殿(重さ5tの大注連縄)・神祜殿(国宝秋野鹿蒔絵手箱や重要文化財多数を収蔵する宝物殿)・ムスビの御神像・島根県立古代出雲歴史博物館(出雲大社に隣接する博物館で、出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱や、加茂岩倉遺跡出土の銅鐸、荒神谷遺跡出土の銅矛などが展示されており、壮観の一言に尽きる。)

【場所】島根県出雲市大社町杵築東

数々の神話に彩られる出雲大社は縁結びの社として人気

御祭神の大国主大神は、「大国」が「ダイコク」とも読めることから、インドのシバ神の化身である「大黒天」としても信仰されている。中世には御祭神が素戔嗚尊だったこともあり、1666年に毛利綱広が寄進した銅鳥居には、「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれている。

大国主命は、古事記などの神代の記述に顕れる神で、葦原中国の平定に功あったが、天孫降臨に際して、国譲りを英断された。その時、大国主命が「僕が住所は、天つ神の御子の天つ日継知らしめさむ、と足る天の御巣の如、底つ石根に宮柱太しり、高天原に氷木高しりて治めたまはば、僕は百足らず八十坰手(やそくまで)に隠りて侍はむ」と述べられたことで、出雲国の多芸志の小浜に、天の御舎(出雲大社:日本書紀では天日隅宮)が建てられた。そして、天照大御神第二の御子神である天穂日命(あめのほひのみこと)が祭祀に当たり、現在でもその後裔である千家・北島家によって祀られている。
かつては杵築大社と呼ばれていたが、その由来は「出雲国風土記」に、「八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)の国引き給ひし後、天の下造らしし大神(大国主命)の宮奉へまつらむとして、諸の皇神等、宮処に参り集ひて杵築き給ひき。故、寸付(きづき)といふ」とある。

現在の本殿の高さは24mであるが、平安時代に源為憲が書いた「口遊」に「雲太、和二、京三」とあり、大和の東大寺大仏殿や京都の平安京大極殿をも上回る、48mを超える日本一の巨大建造物だったと言われている。単なる伝説だと考えられていたが、2000年に境内から発掘された巨大柱の出現で、状況が一変した。上古には96mだったとの話も伝わる。
旧暦10月には、全国から八百万の神々が出雲大社に集まり、縁結びなどの神議が行われている。そのために、出雲地方では「神無月」のことを「神在月」という。

⇒ 出雲大社ホームページ
⇒ 記事|神とは何か
言霊の杜

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