鵜戸神宮(宮崎県日南市)

鵜戸神宮(うどじんぐう)DATA

【御祭神】主祭神:日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
相殿神:大日孁貴(おおひるめのむち:天照大御神)・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)・彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)

【別称】鵜戸山大権現仁王護国寺(旧称)

【社格等】官幣大社(明治二十八年)・別表神社

【創建】第十代崇神天皇の御代

【主な祭典】例祭(2月1日)

【摂末社】皇子神社(彦五瀬命)・門守社(櫛磐窓神・豊磐窓神)・波切神社(波切不動)ほか

【見どころ】本殿(1711年改築の権現造)・鵜戸千畳敷奇岩(鬼の洗濯岩)・吾平山陵(日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊の陵墓)

【場所】宮崎県日南市大字宮浦

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下って参拝する珍しい「下り宮」であり、本殿は洞窟内にある。この洞窟は、日本神話において、皇祖である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を、豊玉姫がお産みになった場所である。
古事記には、豊玉姫が急に産気づき、産屋に葺く予定の鵜の羽が揃わなかったために、御子の名が「ウガヤフキアエズ」になったことが語られている。豊玉姫は、お産の時に八尋鰐に姿を変えたが、その様子を夫に見られたために、御子を置いて海に帰って行った。

創建は崇神天皇の御代で、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊と相殿神あわせて6柱を、「六所権現」として祀った。舒明天皇の御代に社殿が建立された。延暦元年(782年)には、天台宗の光喜坊快久が勅命を受けて寺院を建立し、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺の号を賜った。平安時代には真言宗となり、「西の高野」とも呼ばれるほどの、両部神道の一大道場となった。明治時代の神仏分離により、仁王護国寺は廃された。

⇒ 鵜戸神宮ホームページ

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