オオクニヌシとともに国を造り固めた小さな神
記紀などにおけるスクナビコナの神名表記
【古事記】少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
【日本書紀】少彦名命(すくなひこなのみこと)
【先代旧事本紀】少彦名命・少彦名神
【古語拾遺】少彦名神(すくなびこなのかみ)
【出雲国風土記】須久奈比古命(すくなひこのみこと)
【播磨国風土記】少日子根命(すくなひこねのみこと)・小比古尼命(すくなひこねのみこと)
【伯耆国風土記】少日子命(すくなひこのみこと)
【伊予国風土記】宿奈毘古那命(すくなびこなのみこと)
【伊豆国風土記】少彦名(すくなひこな)
古事記におけるスクナビコナの系譜
【親】神産巣日神(かむむすひのかみ)
古書における主な記述
【古事記】大国主が美保関の岬にいる時に、天の羅摩の船(あめのかがみのふね)に乗って、ヒムシの皮を着物にしてやってきた。名前を答えなかったために蟇蛙に聞くと、「久延毘古(くえびこ)なら知っているはずだ」ということで、「神産巣日神の御子の少名毘古那神」だということが分かった。神産巣日神にこのことを申し上げると、あまりに小さいものだから掌から落ちてしまったものであるから、「大国主と兄弟になって国を造り固めよ」との通達があった。国を造り固めた後、常世の国に去ってしまい、大国主を落胆させた。
【日本書紀】大己貴命(大国主)と少彦名命は、力を合わせて天下を経営し、人や家畜のために医療法を明確にし、獣害虫害防止のための方法を定めた。そして大国主が「我らが造り固めた国は、良くなったといえるだろうか」と問いかけると、少彦名命は「成したところも、成らなかったところもある」と答え、熊野から常世郷に旅立った。あるいは、粟嶋に行って、粟茎に弾かれて常世郷に旅立ったとも言われる。
【先代旧事本紀】古事記と日本書紀の物語を合わせた形で掲載される。ただし、少彦名神は神産巣霊神の御子としながらも、高皇産霊尊の御子と捉えられる箇所がある。
【播磨国風土記】大汝命(大国主)と「荷を背負うのと、糞をせずに行くのとでは、どちらが遠くへ行けるだろうか」と言って競争し、小比古尼命は荷を持って行ったところ、苦しくなった大国主が糞をした。
【伯耆国風土記】伯耆国の粟嶋というところは、少日子命が粟を撒いて、実った時に粟にのぼって常世の国に弾かれたところである。
【伊予国風土記】大穴持命(大国主)が、病気の宿奈毘古那命を助けようと思って、大分と速見の湯(別府温泉)を下樋で持ってきて湯浴みさせたところ元気になった。(道後温泉の起源)
スクナビコナを祀る主要神社
【粟島神社】 鳥取県米子市彦名町