美保神社(みほじんじゃ)DATA
【御祭神】事代主神(ことしろぬしのかみ)・三穂津姫命(みほつひめのみこと)
【別称】美保明神・美穂両社大明神
【社格等】延喜式内社・国幣中社(明治十八年)・別表神社
【創建】不詳
【主な祭典】青柴垣神事(4月7日)
【摂末社】大后社(神屋楯比売命・沼河比売命)・姫子社(媛蹈鞴五十鈴姫命・五十鈴依姫命)・神使社(稲背脛命)・若宮社(天日方奇日方命)・今宮社(太田政清霊)・秘社ほか
【見どころ】本殿(1813年造営の美保造:重要文化財)
【場所】島根県松江市美保関町美保関
全国に3000社ある事代主神系えびす神社の総本社
美保造と呼ばれる本殿向かって右側の大御前(おおごぜん)に三穂津姫命、左側の二御前(にのごぜん)に事代主神が祀られている。三穂津姫命は大国主神の后で、事代主神の義母に当たる。事代主神は、天孫への国譲りを承諾した神で、国譲りを迫られた時の様子が、下記のように日本書紀に記されている
時に、大己貴神(大国主)こたへて曰さく、「当に我が子に問ひて、然して後に報さむ」とまうす。是の時に、其の子事代主神、遊行きて出雲国の美穂の碕に在す。釣魚するを以て楽とす。あるいは曰はく、遊鳥するを楽とすといふ。故、熊野の諸手船を以て、使者稲背脛を載せて遣りつ。而して高皇産霊の勅を事代主神に到し、かつは報さむ辞を問ふ。時に事代主神、使者にかたりて曰はく、「今天神、この借問ひたまふ勅有り。我が父、避り奉るべし。吾また、違ひまつらじ」といふ。よりて海中に、八重蒼柴籬を造りて、船のへをふみて避りぬ。
つまり、大国主は事代主神に国譲りの決断を委ねたため、天孫の遣いである稲背脛が美保関に向かい了承を得た。事代主神は、海中に八重蒼柴籬を造り、船からそこへ飛び込んで身を隠したという。青柴垣神事は、この故事をもとにした神事である。
因みに事代主神は七福神のえびす様であるとされ(西宮神社のえびす様は蛭子神)、大黒天の出雲大社とともに「出雲のえびすだいこく」と称された。そして、「大社だけでは片詣り」と言われ、出雲大社と美保神社はセットで参拝されるようになった。
美保神社は、えびす神としての商売繁盛の神徳があり、漁業・海運の神、田の虫除けの神としての信仰も集める。また、北前船をはじめとする船が出入りする中で、「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と言われ、歌舞音曲の神様としても信仰されるようになった。
出雲国風土記には、「天の下造らしし大神(大国主)の命、高志(越)の国に坐せる神意支都久辰為命(おきつくしいのみこと)の子奴奈宜波比売命(ぬながわひめのみこと)に娶ひて産みましし神御穂須々美命(みほすすみのみこと)、この神坐せり。故、美保といふ」とあり、古い時代の御祭神は御穂須々美命だったと考えられている。これは、能登の須須神社との関係も窺わせる。
⇒ 美保神社ホームページ