大山祇神社(愛媛県今治市)

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)DATA

大山祇神社【御祭神】大山積神(オオヤマヅミノカミ)

【別称】三島大明神・三島社・大三島

【社格等】延喜式内社(名神大社)・国幣大社(大正四年)・別表神社・伊予国一宮

【創建】不詳(一説に推古天皇二年)

【主な祭典】旧暦4月22日(例大祭)・旧暦5月5日と旧暦9月9日(一人角力)

【摂末社】上津社(上津姫・雷神)・下津社(下津姫・高籠神)・姫子邑神社(木花開耶姫命・火々出見命・火須勢理命)・阿奈波神社(磐長姫命)ほか

【見どころ】本殿と拝殿(1427年再建の重要文化財)・大山祇神社のクスノキ群(国の天然記念物)・国宝館と紫陽殿(斉明天皇奉納の鏡や源義経奉納の鎧など国宝8点重要文化財80点あまりほか多くの奉納品が展示されている)・宝篋印塔(河野一族である一遍上人に由来する重要文化財)・海事博物館(昭和天皇の海洋生物研究に関する資料館)

【場所】愛媛県今治市大三島町宮浦

全国に一万社あまりあるオオヤマヅミを祀る神社の総本社

大山積神は、神代に伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれたとされる山の神(古事記)であるが、伊予國風土記に、またの名として「和多志(わたし)の大神」があり、仁徳天皇の時代に百済から摂津に渡ってきたとある。越から来たとも言われる小千命によって勧請されたとも伝わる。小千命御手植の楠が境内にあるが、樹齢は2600年と伝わり、かなり古い時代から在った神社で、貞観十七年(875年)には正一位に上り詰めている。また、平安時代の能書家である藤原佐理が、「日本総鎮守大山積大明神」の扁額を掲げたことも知られている。
もとは、孝霊天皇の裔である越智氏が奉斎していたが、天智天皇の祭政分離で、越智氏から河野氏が分かれている。その河野氏の配下にあった村上水軍からの信奉も篤かった。

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