鹿児島神宮(かごしまじんぐう)DATA
【御祭神】主祭神:天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)・豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
相殿神:帯中比子尊(なかたらしひこのみこと:仲哀天皇)・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)・品陀和気尊(ほむだわけのみこと:応神天皇)・中比売命(なかつひめのみこと)
【別称】正八幡宮・国分正八幡・大隅正八幡宮
【社格等】延喜式内社・官幣大社(明治二十八年)・大隅国一宮・別表神社
【創建】神代
【主な祭典】例祭(旧暦8月15日)・初午祭(旧暦1月18日頃)
【摂末社】石體神社(元宮)ほか
【見どころ】社殿(鹿児島県指定有形文化財)・初午祭(鈴かけ馬踊り)
【場所】鹿児島県霧島市隼人町内
八幡宮の根本社である大隅国一宮
御祭神の天津日高彦火火出見尊は、日本神話では山幸彦の名で親しまれている。天津日高彦火火出見尊の御陵である高屋山陵は、鹿児島神宮の北西13キロのところにある。豊玉比売命は、天津日高彦火火出見尊の后神である。
また、相殿神4柱は、総称して八幡神という。
神代に創建されたとされるが、神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたとの伝承もある。和銅元年(708年)に現在地に遷座されるまでは、摂社の石體神社に祀られていた。
欽明天皇5年(544年)には、八幡神が垂迹したとされる。この八幡神は、鹿児島神宮から宇佐神宮に遷座し、さらに石清水に鎮まったと「今昔物語集」にあり、八幡宮の根本社であると見なされ、鹿児島神宮は正八幡宮とも呼ばれる。
承平年間(平安時代)に、宇佐八幡の九州五所別宮の形成に伴い八幡神が合祀され、正八幡宮と呼ばれるようになったとの別説もある。
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